エネルギー・環境教育セミナー 報告書


テーマ: エネルギー・環境教育セミナー
開催日時:

平成27年11月19日(木) 14:00 〜 17:00

場  所: 福井商工会議所ビル 地下 国際ホール
主  催: 経済産業省資源エネルギー庁
主  管: 福井県環境・エネルギー懇話会
公益財団法人 日本科学技術振興財団
後  援: 福井県教育委員会
福井市教育委員会
■ 基調講演

演 題

「持続可能な社会と学力 ―現行及び次期学習指導要領をめぐって―」

講 師

名古屋大学名誉教授、神奈川大学特別招聘教授
  安彦 忠彦 氏

講師プロフィール:

1942年東京都生れ。東京大学教育学部卒業後、名古屋大学教授、早稲田大学教育・総合科学学術院特任教授等を経て、2012年より現職。専攻は教育課程(カリキュラム)論、教育方法、教育評価。中央教育審議会(2005年〜2013年)をはじめ、日本カリキュラム学会代表理事、日本教育方法学会理事等を歴任。

(要旨)

1.ESD(持続発展教育)と現行及び次期学習指導要領

 ESD(持続発展教育)は、小泉政権下の2002年、持続可能な開発に関する世界首脳会議で提案されたものです。国連がそれを引き取って、2005〜2014年の10年間を「ESDの10年」とし、ユネスコを主導機関として世界的な運動を展開しました。

 国連が10年間展開してきたESDを、日本の学習指導要領がどのように取り入れてきたかをあらためて見てみます。この運動と連動して、日本ではユネスコスクールがこの10年で非常に増えました。平成18年には15校しかありませんでしたが、昨年4月現在で705校、今もさらに増えています。

 そういう状況の中、平成20年の中教審答申で、現行の学習指導要領に対し、中学校の社会科の地理や公民、理科の第1及び第2分野で、持続可能な社会の形成あるいは構築という言葉と内容を入れています。高校の地歴及び世界史でも「持続可能な社会の実現について展望させる」、高校地理Aでも「持続可能な社会の実現を目指した各国の取組、あるいは国際協力が必要」、公民・現代社会でも「持続可能な社会の形成に参画」と明記されています。

 しかし、指導要領に入ってきたのは、私の記憶では中教審の答申を求める本当に最後の段階です。ですから、私たち中教審委員は、答申を出す最終段階で事務方が答申原案に入れてきたものを承認したという程度で、議論はほとんどありませんでした。指導要領に入る前の段階で次の5年の第2期教育振興基本計画(平成25年閣議決定)に入れられたことが、何よりも大きかったわけです。問題は、次の指導要領にどこまで、どういう形で入れるかことです。

2.次期学習指導要領の社会的背景

 ESDが指導要領に取り入れられた社会的背景を、4点ほど整理してみました。

 1点目は、日本も先進国として第一線に立つため、先行き不透明な変化の激しい21世紀になるということです。指導要領は10年のタイムスパンでしか考えませんが、21世紀を考えるときには100年ぐらいを念頭に置かなければなりませんから、正解のない問題への臨機応変な解決能力が必要になります。先進国として第一線に立つということは、前方にモデルとなる先進国がないということです。ですから、従来の先進国と同様、自分で試行錯誤する臨機応変な思考が必要になります。失敗しないようにすることに主たる関心を寄せるのではなく、場合によっては失敗する事態が周りにとてもいい情報を与える時代になっていくのです。日本は今まで、前方にモデルとなる国があって追いつけ追い越せでやってきたので、効果的・効率的に追いつくことができました。そのときは先進国の文明や知識をいち早く吸収すること、つまり記憶中心の教育でもよかったのですが、それでは済まなくなったわけです。

 2点目は、20世紀から21世紀にかけて、知識基盤社会=高度情報化社会へと大きく変わったということです。情報に振り回されるのではなく、主体的に情報を活用できる力を身に付けなければなりません。特に電子機器類が発達し、自動機械や人間型のロボット類、マスメディアが私たちの周囲にあふれていて、私たちを押しつぶす恐れがあります。自分たち主体側の条件をしっかりと整えてそれに批判的に対応し、吟味して主体的に活用できる能力を持たなければなりません。それには、今までの個別特定分野だけの専門的知識ではなく、総合的な力が必要です。

 3点目は、グローバルな時代になるということです。政治・経済・文化が全て情報化されて、いろいろな出来事や現象・事象が一気に世界的な影響を及ぼすようになっていることを見通し、対応していかなければなりません。あらゆる問題が国境を越える時代であることは、ご承知だと思います。そういう時代には、地球的・世界的に事象を見るような、多面的で柔軟な視野を備えた思考力が要ります。自分の国のことだけを考えていれば済む時代ではありません。

 4点目は、私たち自身の問題として、地球環境問題、原子力問題が深刻化すると思われることです。特に人類全体の生存を持続発展させるための能力が必要になってきました。  いずれにしても、これはわれわれ大人の問題で、子どもに教えることで済むものではありません。そういう観点から、ESDについて広い関心が世界的にも集まってきたのです。ユネスコスクールが急激に増えたことは大いに結構ですが、その活動はまだまだ広く認識されていません。また、取り組み自体も必ずしも積極的に行われているとは言えません。

 地球環境問題や原子力・放射能問題に対する正面からの取り組みが要る状況は、日本に限ったものではありません。次期指導要領で地理総合や歴史総合が作られる可能性がありますが、地理総合などにはESDの考え方をかなり強く取り入れようと考えられています。現行の地学は選択なので、どちらかというと物理、化学、生物に比べると一段低く見られていましたが、現行指導要領で大きく変えて選択必修にしました。

 これまでは、関心のある子に対し、力のある先生の場合は大学教育の一部にまで入り込むようなレベルの高い授業をしていたところもありましたが、そうはいかなくなりました。一気に3〜4倍の受講生が来て、高校では地学の授業を今までのようにはやっていけないという声が上がっています。ですから、地球環境問題を核にする方向で再編しなければならないのではないかという動きになってきています。

3.21世紀型能力

 私の考えでは、学校で地球環境問題を取り上げるのは公教育としてなすべきことであって、個々の保護者や地域の私教育でやることではないと思います。現行及び次期指導要領で、コンピテンシーという汎用的な問題解決能力を重視する能力観が取り上げられていますが、それはESDとの親近性があると言えます。OECD生徒の学習到達度調査(PISA)の理論の元をつくったDeSeCoという専門家の組織は、コンピテンシーの定義を「人生の成功と正常に機能する社会(持続可能な発展)のためにどのような能力が必要かという課題に対して、人が持つべき知識や技能を超える能力群」としています。つまり、持続可能な社会を発展させていくために必要な能力が、一般的な能力以上に必要だということです。

 それを受けて、次期指導要領について現在、中教審の企画専門部会が三つの能力を挙げて整理しています。@何を知り、何ができるか(個別の知識・技能)、A知っていることをどう使うかという主として問題解決の力(汎用的スキル)、Bどのように社会・世界と関わり、よりよい人生を送るか(「メタ認知」、学びに向かう力、人間性等)です。メタ認知とは、もう一つの目でモニタリングをかけながら、その力の中身を吟味したり、検討したりすることです。学びに向かう力とは、学習意欲のことです。人間性に関しては私は非常に不満で、ここになぜ急に入ってくるのか分かりませんが、情意的なものというニュアンスで使われています。どちらかというと意欲というか情意なので、一種のエネルギー的なものです。この三つの力を重視して、次期学習指導要領を考えていこうとしています。

 全体としては、能力の方の記述を多くします。現行の学習指導要領では、能力は目標のところに数行書いてあって、事項の方に内容が数十行にわたって書かれていますが、あの体裁をやめたいのです。現行指導要領ではあの体裁が残ったために、先生方の目が内容の方に行って、また教え込みになっていきます。そういう心配がないように、むしろ事項を少なくして、@〜Bで表せる資質能力の構造をもう少し細かく出しておきたいのです。ですから、指導要領の体裁がかなり変わるだろうと思います。どこまで変えられるかは、私は委員ではないので何とも申し上げられません。そういう方向を狙っていますが、成功するかどうかは分かりません。

 参考になっているのは、「21世紀型能力」という国立教育政策研究所が示したモデルです。基礎力、思考力、実践力の三つの層に分かれていて、それぞれ中身が挙がっています。中でも特に実践力が一番外側にあって重視されていることが、コンピテンシーの発想と共通します。

 また、「21世紀型能力」では、コンピテンシーと同様、人格的要素を能力に含めて一元化しています。実践力の中身は、自律的活動力、人間関係形成力、社会参画力と、持続可能な未来への責任となっています。最近は、持続可能な未来への責任を社会参画力の横に置かずに、四つ目として並べて書くようにしています。一言で言えば、持続可能な未来への責任以外は、全て能力です。しかし、未来への責任は能力ではなく、責任感あるいは責任意識です。資質あるいは人間性に対する構えです。全体は能力になっていますが、能力の中の一部に組み込んでいることが売りになっています。

 コンピテンシーも大体そういう発想です。しかし、私は本当は反対だと思っています。責任意識や人間性、道徳性といった人格の部分を能力と対比した場合、人格の方が全体であり、能力は複数に分けられます。現実に「21世紀型能力」では3分野・9種類に分けられていますが、分け方によっては数十種類にも分けられます。そういう意味では、能力の方が分析的な細かい部分で、人格、人間が全体だと言っていいと思います。そう考えると一元化は望ましいことなのかもしれませんが、一元化の仕方が逆であり、能力の中に人格的なものを入れるのではなく、人格の中に能力を入れるべきだと思います。

 それから、構成要素を三つに分けていますが、問題はこの三つの21世紀型能力(実践力・思考力・基礎力)を何のために使うのか、直接何も書かれていないことです。自律的活動や人間関係形成力、社会参画力、問題解決・発見力、論理的・批判的思考力、メタ認知・適応的学習力、言語スキル、数量スキル、情報スキルなど、どれも能力の働き具合が書いてあるだけで、これを一体何のために使うのかについては何も書いてありません。それについて教育しなくてもいいのかということになります。

 これらは能力の概念の外だといわれればそうかもしれませんが、それなら能力を育てる以外に、資質や人格をどう育てるかについて言及すべきです。何のためにその能力を育て、それを何に使うかは、主体である人格、あるいは人間性、道徳性が決めます。その育て方について何も言っていないのは、非常に一面的ではないかと思います。

 ESDについては、私は以前から賛成ですが、ユネスコの世界運動になってしまってからは、非常に内容が幅広くなりました。地球環境問題という環境の方から見る以外にも、政治的な差別や経済格差などの問題も全部取り込んで、運動にしようとしています。確かに国によっていろいろな事情を抱えていることに配慮しないわけにはいかないのでしょうが、そうなると問題が薄れてしまいます。私からすると、地球環境問題の観点から見て、人類の生存基盤である環境自体が非常に危機的な状況にあります。それから、東日本大震災以降、生態学的関係や人間関係などのつながりの面をいろいろな形で重視する方向にあります。このようなことについて配慮が必要になってくると思います。

 ESDも、「先進国が取り組むべき環境保全を中心とした課題を入り口として、環境、経済、社会の統合的な発展について取り組みつつ」と述べています。ですから、先進国に当たる日本は、環境以外の経済や社会のいろいろな問題はひとまず置いて、環境保全から入ってもらいたいと思います。国立教育政策研究所が実際に国の課題として出しているので、その実施計画をきちんと実行してもらいたいと思います。

 次期指導要領に向けて、文部科学省内にできた有識者会議の最終会議では、全体の意見の本文に地球環境問題とESDという言葉を入れていただきました。そして、「ESDで目指すこと」として、目標、育みたい力、学び方・教え方、我が国が優先的に取り組むべき課題の4項目を挙げています。日本が学校現場や学校外も含めて優先的に取り組むべきものとして、環境問題から入ってもらいたいのです。身近なリサイクルなどの環境問題ではなく、いわば人類全体の生存に関わるような問題がたくさん出てきているので、私としてはそういうことに絡む環境問題をもっと取り込んでいただきたいと思っています。

4.環境問題の悪化による緊急対応の必要性

 次に、環境問題に関する最近の動きを私なりに整理し、その対応の必要性について申し上げたいと思います。

 まず1点目、単なる「環境問題」から、地球の生命全体を脅かす「地球環境問題」に今すぐ対応する必要があります。ここでは特に、国連組織である気候変動に関する政府間パネル(IPCC)を中心にお話しします。11月2日付のニューヨークタイムズに「太平洋が煮え立つ大釜になる」と書いてありました。エルニーニョがなかなか消えずに今も続いており、この冬はどうなるかと危惧されています。大人はすぐに損得を考えますが、子どもは純粋ですから、こういう問題を持ち掛けると、すぐに「それは大変だ」と一生懸命になって調べ始めます。

 一昨年の8月中旬、平均気温が全国的に2℃高くなったと報じられました。その1週間後ぐらいには、このまま全世界でいろいろな異常があったときに起こるであろう洪水や高潮、海面上昇、地下水くみ上げによる地盤沈下などの水害による被害総額の記事が出ました。世界銀行や欧州の研究者が海面上昇や人口増を分析して、何もしなければ2050年の被害額は現在の170倍になるだろうという研究結果を発表したのです。日本では名古屋市が世界で20番目に、海面上昇によって大きな被害を受けると書かれていました。他にも中国の広州、深圳、天津、インドのムンバイ、アメリカのニューヨークやマイアミ、ニューオリンズなどが上位に来ています。

 第二次世界大戦までは、どんな大戦争であっても、その後に元の状態に戻ることが可能でした。しかし、原子爆弾の登場により、そうならなくなったのが現代です。また、地球は「宇宙船地球号」であり、有限な世界であるという認識も常識になりました。そして、人類の行く末は無限に進歩・発展するのではなく、地球環境問題の局面によっては悲惨な結末になる危険性があるという状況が、見通せる時代になっています。このことを子どもたちに何も伝えなくていいのでしょうか。私たちが処理できるのであればいいのですが、処理できないのであれば、そういう時代が来るから一緒になって取り組む必要があるということを子どもたちに伝えなければなりません。

 『成長の限界』を書いたローマクラブのメンバーの一人であるノルウェーのヨルゲン・ランダース氏は、日本経済新聞への寄稿で、「孫の代」を視野に温暖化対策をすべきだと提言し、「資源に乏しい日本の役割は大きい」とまで言っています。このような問題意識を持った人たちが今まで予言してきたことは、全て当たっています。環境問題は部分的に良くなったところもありますが、全体としては悪化の一途をたどっています。そのことをどうして誰も本気になって取り上げないのでしょうか。

 2点目に、温暖化がもたらす異常気象等による産業・交通・運輸等への悪影響が今後ますます深刻化してくると思います。リサイクル運動などの単なる環境問題ではなく、地球環境そのものの問題、人類の生存環境そのものが大きく破壊されていく状況に、何らかの手を打つことが必要になってきました。原爆の登場以降、人類の生存は自己責任であり、自分で自分たちの生存を管理しなければならなくなりました。原爆を世界中で同時に七つ爆発させたら、本当に全ての生物が絶滅しかねない状況が起きます。まさに他の生命に対する責任も人間が負っているということです。そういう意味では、現代はこれまで全く経験したことのない時代なのです。

 私としては、中学の総合的学習では、地球環境学習をしてほしいと思っています。地球に生物が生きられる時間は、短くてあと数百年という説があります。私は目を疑いました。長い説では数十億年ですから、地球とほぼ同じ寿命なのでそれほど深刻には思いませんが、数百年というと本当に深刻な状況です。それを真剣に受け止めるならば、国益に固執して互いに意地を張って、足を引っ張り合っている間に、足元をすくわれる状況が展開すると思います。

 教育学のリーダーの一人で、私たちが尊敬する上田薫先生は、2009年の岩波書店の『思想』に、「環境問題考 人類破滅の哲学」という非常にショッキングなタイトルの文章を掲載しています。先生は「私が恐ろしいと思うのは、これまでの予想がほとんどマイナスの形で裏切られていることである。海面上昇、異常高温、猛風の続出等々(中略)われわれの生活構造のみか産業交通を初めとする社会のシステムは、大変容を来すことを避けられまい。人類はいま核問題、人口問題、民族対立・宗教対立の始末などに直面して、何の見通しももてぬままいる。かく対応力の乏しいところへ環境よりする大混乱を招いてどう立ち向かえるか。(中略)世界の一体化の平和が環境のことに強いられて実現するのはいささかくやしいが、静の典型としかいえぬ軍事の抹殺は得がたくすばらしい」と書かれています。「静の典型」とは、上田先生はあらゆるものは動的だと考えていますが、軍隊や軍事は全てピラミッド型の完全に固定的な秩序だといっています。そして、「もしそうなれば、明々白々主権国家体制の崩壊だ」としています。国益ばかりを言っているような組織の在り方は見直されなければならないということです。ジャレド・ダイアモンドというアメリカの文明史家も似たようなことを言っています。こういう状況がアメリカでも進行しているため、現オバマ政権は前政権と比べて環境問題に熱心に取り組むようになりました。

 3点目は汚染問題の拡大です。日本ではかなり環境汚染が改善されていますが、開発途上国では汚染が拡大しています。さらに、日本の場合、福島原発による放射能汚染という、2世代以上にわたる対策が必要な、非常に困難な問題もあります。

 4点目は、各国の利害対立による対応策の先送りがあることです。2009年のCOP15は、「コペンハーゲン合意に留意する」という決議のみで終わり、2013年以降の枠組みについて、京都議定書のような合意書が何ら作られないまま今日に至っています。先進国と途上国の間に溝があることから話が進まないのですが、相互に不利益を分かち合う必要があるという交渉の仕方に変えていってほしいと思います。

 ただし、オバマ大統領は、かつて不熱心だった環境問題について、かなり対応を変えてきています。中国、インド両国も先進国以上に問題を抱えているので、かつての及び腰から態度を変えて、世界的な規模で共同して行動しようとしています。私たち教育の世界からも見ていて、世界がどのような方向で動いていくか、望ましい方向であればそれを後押しする方向でさまざまな情報を発信していくといいと考えます。

5.ESDに望むもの

 ESDは「自立と共生」を求めていますから、環境問題、特に地球環境問題を優先的に取り上げて、問題の解決策を実行してほしいと思います。「持続可能な社会づくり」の前提として、「持続可能な地球づくり」があるということです。「宇宙船地球号」を安定した環境にすることがむしろ前提条件であり、それは社会づくりに優先する土台・根と言えます。

 もう一つ望むのは、教育についての考え方です。ルソー以来の近代教育思想を超越する必要があります。近代教育思想では、能力を開発したり、自己を開発することが教育の望ましい姿だといわれてきたと思います。Educationの語源は能力を引き出すことだといいますが、そういう意味ではやはり開発なのです。自分の能力を開花させるために能力を引き出し、それを発達させることにウエートが置かれていました。

 しかし、今から20年近く前、私がたまたま見ていたテレビ番組で、当時、コーネル大学にいた宇宙物理学者カール・セーガンが「開発の知性がコントロールの知性を上回ってきたことは悲劇的だ」と発言したのがとても印象的でした。開発の知性は、能力開発型の教育によってつくられ、明らかに今までの科学技術の発展はこれによって展開されてきました。しかし、コントロールの知性は何も育ててこなかったのではないか、それが悲劇的だというのです。現代の人間が今の地球全体のありようについて全ての管理責任を求められているのであれば、これまでの近代教育思想とは別個な教育思想が必要です。

 それを私は能力制御型といっています。私の学生時代は、近代と現代を分けるのは社会主義でした。しかし、社会主義は何らその役割を果たせませんでした。今、私は原爆の登場がまさに近代と現代を分けると考えています。つまり、現代は、人間が世界を管理する責任、地球全体を管理する責任を持たされてしまった時代ということです。そこでは、人間はこれ以上やってはいけない、こちらの方向に進んではいけないという一定の制御を掛けられる力を持たなければなりません。もちろん、開発をやめてはいけませんが、重点はむしろ制御の方に移さなければならないだろうということです。

 「引き出す」教育をいわゆる近代教育学(第一教育学)と考えると、それを絶対化せず、「つなぐ」教育(現代教育学:第二教育学)による包摂的補完が必要です。これは鳥取大学の松本昭先生(教育哲学)の言葉を使いました。「引き出す」に対して「つなぐ」教育です。大地につなぐ、人と人をつなぐ、人を地球につなぐ、生物界につなぐなど、「つなぐ」教育の方向で考えていく必要があると思います。

 そう考えたとき、これまでの日本人は何に根を下ろし、自分の足場を固めてきたのか、どうもぼけてきたのではないかと思います。最近は日本人礼賛のようなことがいわれていますが、究極的には人類の生存につなぐという意味で、私たちの生存の根拠、学ぶ根拠を考える、その枠の中で「引き出す」教育を意義づけ、方向づける必要があります。

 そして、その過程で方法的に重視するのは、地球環境保全に結びつく「全体を益する」活動です。日本だけが益するのではなく、日本を越えた全体を益する活動につながっていくものを考えています。日本では、社会全体がこうなのだからと、一人一人のわがままを抑えるような、個人の自由をたたく風潮が起きがちなので、そういうことがないよう、他方で一人一人の多様な意見や考えを自由に表現できる場を保障していくことも非常に大事です。

 私の考えた教育課程の3層では、一番下に生活能力、真ん中に基礎的学力、一番上に発展的・応用的学力があります。学力形成(引き出す)では上の二つを、人格形成(つなぐ)では下の二つを考えます。特に基礎的学力を「つなぐ」の方に入れたのは、基礎・基本がないと、人間が一人の人格を持った人間らしい人間として扱われないということが起きるからです。

 これは皆さんもある程度気が付くと思います。私は大阪大学に勤めたこともありますが、部落解放問題でかなりはっきりとそのことを知りました。市役所へ行って書類を1枚出しさえすれば市民としての権利が享受できたはずなのに、読み書きができなかったがためにずっと泣いてきた人がいます。基礎学力の有無によって大きく差別されてきた人がいることを考えると、基礎的な学力はどの人にもきちんと育てきる責任が、学校や先生方にはあると思います。それはまさに、人格性の最低のところを支える、人間らしい生活を支えるところですので、人と人とをつなぐ重要な役割を持っている部分だと思います。そういう意味で、基礎学力とは、学力の一部であると同時に人格の一部でもあります。このことをしっかりと押さえる必要があると思います。

 それから、ESDが育てるべき能力として、現行では持続可能な発展に関する価値観、体系的な思考力、代替案の思考力、リーダーシップの向上の四つを挙げています。全て能力開発型です。今までの近代教育学的な発想で書いてあります。

 それに対し、つなぐ教育の観点から付加すべきなのは、互恵性、耐性(持久性)、自己相対化です。耐性とは、ある種の不自由・不安・恐れ・心配などが生じて我慢できなくなってきたとき、本当はじっと我慢できる力を持っていなければなりませんが、何となく不安になってきて、誰かにすがって助けてもらいたいと動いてしまいます。そうすると、誰か旗を振る人が出てきたり、政府や権力者が何か言うとそちらにふっと飛びついて、寄り掛かります。それでは、いつまでも自分は強くならないということです。このように自分を制御できる力も同時に育てなければなりません。

 古市憲寿という政治学者は、「降りる」というのは、一斉に競争しているときには皆がその中に入っていくのに対して、自分だけはそういうものから「降りる」と言って、外れることを認めることだと言っています。能力制御型教育で、「降りる」勇気を認める、あるいは促すことが必要です。

6.おわりに

 最後に、「人類の持続的な生存発展」というESDの観点からお話しします。最近、教育で「不易」と「流行」がよくいわれます。不易とは、どの人にも平等に生きる最低の力を保障しなければならないということで、それはあくまでもその人が自由な思想、文化活動、生き方を展開する上で必要な条件です。平等は、条件レベルなのです。流行とは、新しい時代には新しくて自由な生存の仕方が保障され、この両方を保障していく方向を考えなければならないということです。

 それから、先ほど述べた21世紀社会の学力も、社会状況の変化に対応していかなくてはなりません。その対応能力は学力、コンピテンシーで育てますが、それだけでは社会に振り回されない程度、社会についていくだけのレベルで終わってしまいます。ですから、社会の変化をむしろ望ましい方向に変えていく主体として、人格がこちら側に留保されなければなりません。それが能力制御型の力をきちんと持ち、望ましい方向にぐっと変えていける力を持った子どもに育てるということです。私たちはこの社会を変える主権者なので、学力を身に付けることよりも、社会自体の在り方を問う人格という力を持つ必要があります。

 私たちが地球に、大地に、自然につながり続けられるように、国家的利害に固執せず、相互に不利益を分かち合う態度を培うには、自己制御が要ります。自分の言いたいことだけ言えばいいのではなくて、相手の言うことも聞いてぐっとこらえなければならないこともあります。ですから、生き方の正面に自己制御を据える教育が必要です。「引き出す」教育を部分として含む「つなぐ教育」を全体として行わなければ、自ら破滅の道を早めることになるでしょう。

 数代後の私たちの子孫から、「あのとき先祖が何もしてくれなかったからこんなことになったのだ」と非難の声が上がらないように、そのときの子孫たちがその段階で自暴自棄になることがないように、そういう段階になったとしても毅然として、粛々ときちんとしたことをやっていける子どもたちにするために、私たちは今なすべきことをしっかりやっていく必要があると思います。その点で、私はESDに非常に大きく期待しています。

 

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