エネルギー・環境教育セミナー 報告書


テーマ: エネルギー・環境教育セミナー
開催日時:

平成26年11月20日(木) 14:00 〜 17:00

場  所: 福井商工会議所ビル 地下 コンベンションホール
主  催: 経済産業省資源エネルギー庁
主  管: 福井県環境・エネルギー懇話会
公益財団法人 日本科学技術振興財団
後  援: 福井県教育委員会
福井市教育委員会
■ 基調講演

演 題

「知らないではすまされないエネルギーの話」

講 師

21世紀政策研究 研究主幹 澤 昭裕 氏

講師プロフィール:

1957年大阪府生れ。一橋大学経済学部卒業後、通商産業省(現経済産業省)入省。
環境政策課長、資源エネルギー庁資源燃料部政策課長、東京大学先端科学技術研究センター教授等を経て、2007年より現職。

(要旨)

 今日は、基本的なエネルギー問題についての考え方、あるいは最近話題になっている若干の事柄に触れたいと思います。現場の先生方に聞くと、子どもたちに教える基礎になるような話がなかなか伝わっていないということもあるようですので、福井県にとっては切っても切り離せない話題である原子力についてはトピック的な話にとどめて、日本のエネルギー事情について、基本的なことをお話ししていきます。

1.エネルギー政策を考える視点

 エネルギーは、それ自体が目的になるものではありません。基本的には生活や経済活動にとって必需品になる電気や石油を指すのですが、いくら自給率が低いからといって、石油製品を確保すること自体を目的とするのはおかしくて、石油製品を使って何をするのか。つまり、人間の命を救う、生活を豊かにするといった政策目的がまずあって、そこにエネルギーをどのように割り振っていくかを考えなくてはいけません。

 エネルギー政策を考える視点は、三つあります。一つ目は安定供給です。エネルギーの不足によって、生活や経済活動が急に乱れないようにすることが一番重要です。最近の子どもたちは、エネルギー不足や停電に直面した経験があまりありませんが、私が資源エネルギー庁に配属された1981年は、その2年前にオイルショックがあったり、スリーマイルの原発事故があったりという激動のときで、エネルギー不足が社会のパニックにつながることを実感しました。従って、エネルギーの量を切らさないことが重要なポイントです。

 二つ目は、値段が高くなると生活が困るという経済性の問題です。エネルギーは必需品なので、電気代が上がったときに、所得の低い人は所得の高い人よりも大きなインパクトを感じるだけでなく、常に節電しているのでそれ以上の節電ができず、値上げ分がそのまま財布から出ていくことになります。逆に、所得の高い人の多くは、電気を使い過ぎていても総収入に占める電気代が非常に小さいので、少しぐらい上がったところで節電しようとは思いません。ですから、単に安ければいいという問題ではなく、誰が困るのかも考えなくてはならないのが、エネルギーの難しいところです。

 三つ目は、まさにエネルギー環境教育の「環境」の部分です。特に温暖化問題では、環境にやさしいエネルギーをどう組み合わせていくかを考えないと、地球は大変なことになります。

 この三つのどれが一番重要なのかは人によっても違いますし、歴史やそのときの状況によっても違います。さらに、三つともうまくいくエネルギーはないと言っても過言ではないぐらい、それぞれがトレードオフになっています。従って、エネルギー政策はたった一つの正解があるという世界ではなく、それぞれの価値に応じた選択があって、その選択を社会でまとめていくときに、大体はみんなが不満を持つことになるわけです。

2.日本の発電電力量の推移―安定供給

 電気の使用量は、これまでどんどん増えてきました。将来、人口減少に伴って若干減っていくかもしれませんが、基本的に、経済活動が活発になれば電気使用量も増えます。

 1950年代の小学校の社会科の教科書には、日本の電気は水力発電がメーンだと書かれていました。黒部の開発などが一番盛んだったころです。当時は九州や北海道で採れた石炭による石炭火力発電と水力発電で電気を自給していました。日本の資源で100%賄っていた時代もあったということです。

 ところが、高度成長とともに、電気の需要がどんどん増えていきました。水力は開発できるところが限られ、石炭も採掘が難しくなってきた中で、救世主のように現れたのが石油です。そのころの環境技術においては、石炭に比べれば石油の方がきれいでしたし、液体なので運びやすい上、石炭のように自然発火することもないので非常に重宝され、石油火力発電所が新設のメーンになりました。

 しかし、何かに頼ってしまうと、ショックに対する耐性が小さくなります。1973年ごろには電気の4分の3が石油火力でできていたのですが、産油国が石油を政治的武器として使ったために第一次オイルショックが起き、日本はパニックになりました。その結果、石油に代わるエネルギーとして選ばれたのが原子力と天然ガスです。もちろん、オイルショック以前から少しずつ開発を始めていたのですが、ここで一挙にドライブが掛かりました。

 実は、私が資源エネルギー庁に入った1981年当時でも、石油火力が4割ほどありました。しかし、IEA(国際エネルギー機関)により、先進国は産油国との交渉に強くなるために石油火力発電所はこれ以上造らないという条約的なものを結んでいたので、今使っている石油火力発電所は、このころ最後に造られた、老朽火力といわれるものです。

 石油火力をやめていく中で、原子力や天然ガスに力を入れたのですが、大きな問題は、どちらも最初の投資が莫大だということです。原子力は、今でも数千億円かかるといわれています。このころは幾らだったか定かではありませんが、石油火力が三つか四つはできるような額の投資をしなければなりませんでした。天然ガスも、今でこそタンクが整備され、タンカーもたくさんありますが、このころはLNGのサプライチェーンの開発からしなくてはならなかったので、原子力と変わらないぐらいの値段が掛かる代物でした。東京電力が最初に始めたのですが、当時の木川田社長が社内の強い反対を押して、経済性を無視してでもやると決めたのは、石油ショックのインパクトが大きかったからです。

 こうして、エネルギー源にバラエティが出てきました。エネルギーの安定供給に重要なのは、いろいろな意味で多様化することです。例えば石油であれば、一つの国に全てを頼るのではなく複数の国から輸入できるような仕掛けにしておき、エネルギーの種類としても石油だけではなく天然ガス、石炭、原子力というようにバラエティを持っておくことが一つの要諦だったわけです。

 そのおかげで、2011年以降、原子力がゼロになっても、他のエネルギーで代替できています。実は、これが目指してきた姿なのです。反原発派の人が、原子力がなくても大丈夫ではないか、だから要らないのだと言っていますが、一つが駄目になっても他でカバーできるような構造を、わざわざつくってきたのです。しかし、原子力が動かない上にもう一つも駄目になるところまでは想定していないので、例えばシーレーンがどこかの国にブロックされて天然ガスが入ってこなければ、パニックになります。逆に言えば、一つを正常な状態にして、どこか一つが欠けても大丈夫な構造に戻しておくことが、今の緊急の課題だということです。

3.電気料金の歴史的変化―経済性

 このようにして、エネルギーの量の安定が図られると、次は経済性が重要なポイントになってきます。

 電気代の歴史的な推移を見ると、1973年と1979年の2回にわたるオイルショックのときに電気料金の大幅な値上げがあり、その後、下がってくるのですが、下がりきりませんでした。いろいろな理由がありましたが、産業界や政策担当者が思い当たるのは、電力会社の地域独占、あるいは総括原価といわれる料金規制です。そこから、これをできるだけ外さなければいけないのではないかという構造改革論が出てきます。

 そのコンテクストで行われた2回の制度改革で、大きな電力需要を持つ工場や事業者向けには電力会社が地域を越えて競争するような制度を整えました。実際にはなかなか進みませんでしたが、各社とも自由化を意識し始めたので、料金を下げる努力はある程度進み始めました。特に1990年代の中ごろは、バブルがはじけ、電気代が高止まったままでは日本の製造業の国際競争力を弱めることになるので、産業界を挙げて電気料金を下げてほしいという要望があった時代です。

4.地球温暖化防止と今後のエネルギーミックス-環境性

 それとほぼ同時期に起こったのが、環境問題です。90年代初頭から地球環境問題が話題になり始め、それが一番盛り上がったのが1997年です。この年に、温暖化を止めるための先進国の努力を法的に拘束力のあるものにしようと、京都議定書が合意されました。

 CO2を中心とする温室効果ガスが濃度を上げた形で地球を囲むと、入ってくる太陽のエネルギーが宇宙に逃げなくなるため、温室効果をもたらして、地球が暖かくなります。良いこともありますが、悪いことも多いので、地球温暖化を防ぐためにはCO2の削減が重要です。大きくは、電気をつくるときの発電燃料とモータリゼーションに伴うガソリンの消費増の二つが問題になります。

 特に1990年代の中ごろに中国やインドが主張したのは、途上国はこれから成長する権利がある、先進国は化石燃料を燃やして十分に経済成長を遂げたではないかということです。従って、先進国が成長を止め、省エネや燃料転換をすることによってCO2を減らせばいいということが、国際的に合意されたわけです。

 減らすべきは石油と天然ガスと石炭です。特に石炭が悪者になるのですが、この三つの化石燃料をどれだけ減らせるかが一つの目標になります。逆に言うと、原子力と再生可能エネルギーはCO2を出さないので、化石燃料を減らした分をそれで埋めていこうという発想になります。

 ところが、原子力は、福島の事故が起こる前から、データ改ざんや中越沖地震で柏崎刈羽の変圧器が火事になるなど、いろいろとスキャンダルやトラブルが重なって、稼働率が大きく落ちました。一生の間に非常にたくさんの電気を生み出せる原子力は、安定供給性があり、初期投資が大きくても、減価償却が済んだ後はウランの燃料代だけで動かせるので非常に経済的です。CO2も出しません。安定供給性、経済性、環境性の三拍子がそろったと思っていたところに、残念ながら福島で事故が起こって、パーフェクトな電源はないという認識になってしまいました。

 ですから、今はこれからどういうエネルギーミックスにしていくのかということが一番大きな問題になっていて、政府がそれを考えているところです。原子力は嫌だ、再生可能エネルギーをぜひやってほしい、再生可能エネルギーは高過ぎて困るなど、いろいろな社会の声を全部総合した上で決めていくというプロセスには大変な時間がかかりますし、選挙等も絡んできますが、私は来年5月ぐらいにエネルギーミックスが発表されることになるだろうと見ています。

5.鳩山構想

 そういう中で、民主党政権と自民党政権の政策の差を理解しておいていただきたいと思います。

 鳩山さんがつくった25%削減構想は、温室効果ガス、特にCO2を、1990年を基準年として、そこから2020年に向かって25%削減しようという計画です。30年かけて25%の削減であれば意外に簡単ではないかと思った人も結構いましたが、実際上は非常に難しいことです。産業部門、運輸部門、家庭部門など、どの部門も公平に25%減らす政策だとして、例えば、家庭で使っている電気の量を25%減らせるでしょうか。今年の夏は10%節電してくださいと言われましたが、「私はやめておく」という人が1人いたら、もう1人は20%節電しなくてはなりません。ですから、全部で5%、10%節電することは簡単だと思いがちですが、ほぼ8割の人がサボることを考えると、非常に厳しくなります。この25%も、それに近い話です。

 民主党政権がこの構想を出したころには、家庭部門のCO2排出量は、1990年と比べて既に3〜4割増えていました。ですから、鳩山目標は、実質はほぼ半減するという構想だったのです。CO2排出量、つまり家庭で使っている電気量を、10年かけてでも半分にすることができるでしょうか。これは逆に、なぜ今までの20年間で3〜4割増えたのかを考えてみれば分かります。かつては、エアコンは一家に1台しかなく、他の部屋は石油ファンヒーターや扇風機を使っていましたが、寝室にもエアコンが欲しい、高齢者がいるのでお風呂にも欲しいということで、エアコンの台数はどんどん増えていきました。テレビも同様に台数が増え、さらに大型化しています。1台ずつで見れば省エネは進んでいるのですが、台数が増えれば消費電力は増えます。

 そういうことがあって3〜4割増えたものを、これから10年かけて半分の電気でやっていけるようになるかというと、私は無理だと思います。2020年で目指すべき電気の使用量は、1976年に家庭で使っていた電気量と一緒です。つまり、昭和51年の段階にライフスタイルを戻さなければいけないということです。

 鳩山さんは軽く25%と世界に示してしまったのですが、それをどうやって実現するのか。審議会を開いていろいろと検討しましたが、実は鳩山さんの前に麻生さんが総理だったときには、経済界が無理だと言い、環境NGOがもっとやれと言ったので、結局、間を取って8%だったのです。一挙にその3倍の目標になったのでは、それを全部省エネや節電で実現するのは不可能です。家庭で使う電気の量を減らすのが無理であれば、CO2が出ないような発電の仕方に変えていくしかありません。

 そこで、民主党政権のときに、原子力と再生可能エネルギーを大幅に増やすという計画が立てられました。これが、今、改訂中のエネルギー基本計画の数値目標です。

6.現行のエネルギー基本計画

 そのときは、原子力と再生可能エネルギーを約2倍にしようという計画になっていました。原子力と再生可能エネルギーは正義の味方、逆に言うと、化石燃料が敵です。よく間違えられますが、温暖化防止政策は化石燃料を最少化するという政策であり、温暖化のコンテクストにおいては、原子力も再生可能エネルギーも正義の味方です。

 ところが、この計画をつくった後、大震災が起きた時点から国民がエネルギー政策を語りだして、にわかに「私は昔から原子力が嫌いだった」「今後は再生可能エネルギーだ」などと言う人が出てきたのです。皆さん、原子力をやめて再エネを増やすという発想です。これが全ての混乱の始まりです。

 2011年の震災の後、エネルギー問題の討論番組に出ると、「澤さんは原子力推進派ですよね」と決め付けられました。温暖化防止のためには原子力が必要だと言っていたからです。再生可能エネルギーは正義の味方、原子力は悪の権化のような捉え方をされた、その極めつけが菅総理です。彼は「原子力をゼロにしたい。その代わり、再生可能エネルギーを増やす」と言いました。

 フィード・イン・タリフ(全量固定価格買取制度)の法律を閣議決定したのは、2011年3月11日の午前中です。つまり、原発事故が起こる前から、既に再生可能エネルギーをどんどん増やそうと決めていたのです。温対化対策のために再エネを増やそうというのがフィード・イン・タリフのポイントで、原子力と敵対させることが目的ではなかったのです。

 今、全量固定買取制度によって電気料金が上がりそうだという問題がよく報道されていますが、なぜそのころ国民がそれを受け入れていたのかというと、二つの理由があります。一つは、この負担は積み木のようにどんどん積み重なるという、負担の構造を誰も説明しなかったからです。二つ目はそれの裏返しなのですが、脱原発のためにはある程度電気代が上がっても仕方がないという国民感情をそっとしておいたことです。このころに再生可能エネルギーの利権構造ができ、その中で原子力を敵にし、そのバックにいる経産省や電力会社をたたく構造をつくったのです。

 誰もそれに気が付かなかったのですが、最近、再エネで誰がもうけているのかということに気付き始めた人が出てきました。本当にもうけた人はもうけきって終わっているのですが、もうける人を見て、こんな濡れ手に粟の商売があるのかと思って入ってきた普通の人たちが、今、損をしています。しかし、繰り返しますが、エネルギー政策を論ずる中で再生可能エネルギーが直接原子力を代替するのかという議論は、誰もしませんでした。

7.もし、原子力依存低下政策に転換するならば

 もう一度整理して言います。これが今日のポイントだと思っていただいてもいいのですが、原子力依存率を低下させていくことは、今の安倍政権もエネルギー基本政策で閣議決定している大方針です。それを埋めていく手だては、再エネと火力発電しかありません。

 ここからは、子どもさんたちに易しい言葉で考えさせていくポイントになると思うのですが、エネルギー政策の目標は、安定供給、経済性、環境問題の三つだと言いました。日本の歴史、あるいは日本の自給率の構造からすると、伝統的な意味でエネルギー政策において重要なポイントは、安定供給と経済性の二つです。社会生活の基盤になっている必需品なので安定供給が必要ですし、生活が大変にならないために、また、日本が国際競争力を保っておくためには、低廉なエネルギー価格が必要です。ですから、歴史的な構造で言えば、経済に寄り掛かった見方をするエネルギー政策の柱が最初に出てきたのです。

 この二つが大事な政策だと思う人は、原子力の代わりに再生可能エネルギーで埋めるなどということは一切考えません。なぜかというと、再生可能エネルギーは限界的な量しか入らず、値段も非常に高いからです。

 ですから、エネルギー政策を真面目に考えようとすると、原子力をやめた分は火力で埋めるという話が筋論として出てこなくてはいけないのですが、民主党時代にはそういう話が出なかった理由があります。それは、鳩山構想です。つまり、三つ目の温暖化防止政策に寄り掛かったエネルギー政策を進めていこうと思うと、火力発電は絶対に取ってはいけない道だからです。温暖化しない地球を、子孫に残せないからです。

 ですから、彼らは、原子力の代わりに再エネを入れようと言ったのです。再エネは、温暖化防止政策における原子力の次に来る優先選択肢であり、火力発電は、エネルギー政策を重要視する立場からの優先選択肢なのです。

8.民主党政権下でのエネルギーミックスの考え方と安倍政権の検討課題

 民主党政権時代の国民的議論で、原発依存度を0%、15%、20〜25%にするという三つの選択肢が示されました。これらのシナリオは、原発依存度を下げたときに、まずは再エネで埋めて、残りを火力で埋めるという考え方でできています。つまり、民主党政権のときは温暖化防止政策を進めていたのです。そもそも福島の事故が起こった後、温暖化問題は日本人の頭の中に浮かばなくなってしまったので、そこまで議論した人はあまりいませんが、政策的な整合性という意味では、重点はそこにあったのです。

 では、安倍政権になってどう変わったのでしょうか。安倍政権発足の日に、総理は経済産業大臣に対して、エネルギー政策を安定供給と経済性の面から見直せという指示を出しました。今までの再エネ中心の政策を引っ繰り返そうとしたのです。

 その後、安倍総理は産油国に、石油や天然ガスを日本に安く送ってくれるように働き掛けをし、中国がガス開発に乗り出しているアフリカに行って、日本もアフリカに十分貢献するとアピールしました。また、シェールガスが採れるようになったアメリカに、自由貿易協定を結んでいない日本にもスムーズに送るように働き掛けに行きました。

 各国は日本に化石燃料がないこと、原子力もやめるという議論があることを知っていますから、足元を見てきます。そして、今は100円のペットボトルを1000円だと言われても買うという状態です。ですから、野田政権が大飯原子力発電所を再稼働した次の日、日本の天然ガスの輸入スポット価格がぐっと下がりました。外国には、明らかに原子力の稼働率を見ながら日本に化石燃料を売っているハイエナのような人たちが山ほどいるのです。

 自民党政権はそれが分かっていたことが幸いして、足元を見られないように、LNGの消費国でカルテルを結べないかというトライをし、温暖化政策のためにやめろといわれていた石炭火力の新設を、最高効率のものであれば認めるよう規制緩和もしました。では、温暖化防止政策はどうしたかというと、ここのくびきを残したままそんなことはできないので、25%削減を約束した鳩山構想は、去年の国際会議の場で正式に取り下げました。民主党政権が環境の観点で進めていたエネルギー政策を、自民党政権は安定供給と経済性という観点に持っていったのです。

 しかし、一つだけ整合的でないことがあります。それが再エネです。安定供給と経済性に力を入れるのであれば、再エネは少し力を抜くべき時期が来ていたはずなのに、そのまま突っ走っていったのは、先ほど言った利権構造の中に、むしろ自民党の方が乗っていった面があるからです。もともとフィード・イン・タリフの法律の中に書いてあった国民負担が増えないような仕掛けを全て外していったのは、野党時代の自民党と公明党です。そうやって法律を変えて、事業者がもうかるような仕組みにもう一度仕立て上げたのです。

 ですから、火力発電もやるけれども、再エネもどんどんやろうというのが今の状況で、エネルギー政策としては整合的ではないことが行われています。これからエネルギーミックスが決まっていくときに、いろいろな利害関係者がロビーイングを始めて、その中で最後にどうなるかが5月に見えるということです。

9.再生可能エネルギーの本質的課題

 皆さんの頭に入れておいていただきたいのは、一つは再生可能エネルギーの問題点です。最近、各自治体で電気の地産地消、自給自足がはやっていて、太陽光や風力を導入するところがありますが、風が吹かないときや夜間は全く発電しません。ですから、ある自治体で電気を自給しようと思えば、バックアップの自家発が必要になります。

 それならば、最初からガスタービンだけ買えばいいのです。太陽光や風力は、観光や雇用のために導入しているだけで、エネルギー政策としてやっているところはほとんどありません。エネルギー政策でやっているように見えても、実は再エネ事業者が耕作放棄地を無償で提供させてパネルを貼り、その利益は東京の本社に上がります。地元の雇用などありません。そういう世界をうまく演出していった再エネ事業者がたくさんいるというのが実態です。

 今は電気事業法上、電力会社には供給義務があるので、自分たちで自家発を持たなくても、北陸電力にバックアップしてくれと言えばノーとは言えません。そういうやり方をしているところも結構あります。しかし、北陸電力にすれば、太陽光や風力が稼働しているときは電気が売れないのですから、当然、バックアップしかさせないような発電所は造りたくありません。これから自由化され、供給義務がなくなれば、バックアップ電源は誰も造らなくなります。バックアップ電源を確保するために補助金を出すようなことになれば、フィード・イン・タリフで掛かっている付加金に加えて、バックアップの維持費用が電気代に乗ることになります。それが一番の問題です。

10.原子力「安全」規制の考え方

 もう一つは、原子力の安全の問題です。実は、安全規制はリスクを最小化するための規則です。リスクとは、どのような事故が起こり得るのか、起こる確率はどれぐらいなのか、起こったときの影響度はどれぐらいなのかを掛け算したものなので、ある確率だけを減らすことがリスク最小化ではありません。どうしても起こる事故なのであれば、事故が起こったときのインパクトを最小化するための別の対策を講じておくことも安全規制の目的になります。

 従って、ある一つの設備だけがあるかないかは、あまり関係がありません。例えば、海水ポンプが重要な設備だからといって厚いコンクリートの壁で囲ってしまうと、火事が起きても消防隊が駆け付けられなくなり、別のリスクが増えてしまいます。全体としてどのようにリスクを減らしていけばいいのかというのが、原子力の安全規制の考え方です。

 これまでの日本の安全規制は、どちらかというと壁を厚くすればいいという発想で、リスクを中心に考え直していくという世界の潮流から日本だけが遅れていたのです。福島の事故をきっかけに新しい発想で規制を考え直しているところですが、規制委員会も事業者もまだ頭が切り替わっていません。

 確かに規制基準を厳しくしていけば、リスクはどんどん下がっていきます。しかし、どうしてもそれ以上リスクが下がらない段階が来ます。つまり、事故は必ず起こり得るということです。その中で一番厳しい基準をつくり、その規制基準に適合していることを証明するところまでは規制委員会の責任ですが、それは何ら安全を証明するものではありません。安全を守る責任は、第一義的にも最終的にも事業者にあります。

 事業者は、規制委員会の合格証を見せて「安全です」と言い、見学者に「ここに発電機があります」「電源車があります」「放水砲があります」とハードがそろっているところを見せますが、見学者が見たいのは事業者が本当に第一義的責任を感じているかどうかです。

 もちろん、合格証をもらわないと始まらないのですが、そこで仕事が終わったと思ってしまうことが問題で、本来、事業者の仕事はそこから始まるのです。しかし、この安全規制の考え方を、推進派の人も反対派の人も間違えています。

11.誤解だらけの再稼働議論

 規制委員会の責任は、原発が安全規制基準に適合しているかどうかを審査することにあり、絶対に安全かという問いに答えることではありません。規制委員会が適合していないという判断をすると、反対派の人は原発は不要だと言っていると思い、プレスもそのように書きますが、それは再審査に持っていっただけです。審査基準が通らなかったから追加の対策を求めているということであって、審査が通るまでループが回るだけの話なのです。

 反対派の人がなぜ規制委員会に期待するかというと、「規制」を「禁止する」という意味に捉えているからです。レギュレーションという英語には禁止するという意味は全くないので、原子力基準委員会の方が正しいと思います。反対派の人が「再稼働を認める原子力規制委員会は要らない」というプラカードを持っていましたが、全く意味のないプラカードです。規制委員会は再稼働を認めるためにあるのですが、規制委員の中に止めるのだと思っている人がいたからおかしくなったのです。

 それを助長しているのが、大飯の判決です。今は民事訴訟ですが、行政訴訟が出てきたら、規制委員会が自分で「私の判断は正しいです。規制基準も合理的です」と言わなくてはなりません。伊方の判決は、それを保護するものでは全くありません。具体的な安全基準が合理性を持っているかというところにポイントがあります。基準を当てはめるプロセスが正しかったかどうかを見る判決だと皆が信じていますが、そうではありません。あの判決を見る限りは、今後、規制基準自体が正しいかどうかを裁判所が見ることになり、規制委員会はそこに出ていって、正しいと言わなくてはいけないのです。そういう背景がある中で、厳しくしていくという姿勢が少しでも崩れたら、自身が訴訟に負けるかもしれないというリスクを、規制委員会が感じているということです。

 このことは、この地では非常に重要な話です。今後、高裁の判決もここで行われます。多分、判決が出るとまた多くの人が関心を持つようになると思いますが、そのときにまたゼロリスク論や安全神話に陥らないように、安全とはどういうことか、安全を確保するとはどういうことなのかというポイントは、ぜひ頭に入れておいていただきたいと思います。

 

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