教育支援事業報告|先生のためのセミナーレポート|教育に関する調査・アンケート結果  

 

先生のためのセミナーレポート

 

 

テーマ: 総合的な学習の導入に向けた環境・エネルギー教育セミナー
開催日時: 平成13年2月15日(木)13:30〜16:50
場所: 福井県中小企業産業大学校
主催: 中部経済産業局電力・ガス事業北陸支局
後援: 福井県教育委員会、福井市教育委員会、福井県中学校長会、福井県小学校長会、福井新聞社
主管: 福井県環境・エネルギー懇話会
内容:
■基調講演
テーマ: 「総合的な学習」の現状と実践課題(要旨)
   −2002年度までに何をするか−
講 師: 岐阜大学教授(前文部省初等中等教育局教科調査官)
        北  俊 夫
 氏

1. 「総合的な学習」の実践の実践にあたって
   −いまあなたの学校は、どの段階ですか?−
  (1)校内で、総合的な学習の時間が創設された趣旨やねらいを理解しあう段階
     第1のステップ。「総合的な学習」の実践は各学校で多様に工夫できるといった非常に幅のある弾力的な教育活動の場である。その多様性を保障するために、この時間がなぜ作られたかという趣旨とそのねらいに常に立ち返りながら、つまり、常に原則に立ち返りながら、多様な実践を工夫していただきたい。
 では、その原則とは何か。最低限参考にしていただきたい文献を3点だけご紹介したい。
 1つ目は、我が国で初めて「総合的な学習」の時間を作ったらどうかということが提言された文献、すなわち第15期の中教審の第1次答申で、「総合的な学習の時間(仮称)」という名前で出されたもの。
 2つ目は、その第1次答申を受けて開催された中央教育課程審議会の答申。この中には、これから話題になる「総合的な学習」の評価についての基本的なスタンスがすでに述べられている。
 3つ目は、その答申を踏まえて作られた今回の新しい「学習指導要領」の総則に示されている「総合的な学習の時間の取り扱い」という項と、それを解説してある総則の解説書である。
 また、ねらいとは何か。1つは問題解決の力を育てる時間、自己の生き方を考えることができる時間にするということ。しかし、このねらいは教科の場合に掲げられている目標と違う。教科の場合には、例えば国語のねらいが小学校の目標、学年ごとの目標が示され、そして中学校、高等学校というように学校段階を踏まえて目標が設定されているが、「総合的な学習」の場合には学校段階を踏まえた記述にはなっていない。
 つまり、そのねらいを自分の学校としてどう受け止めるか(ねらいを自校化する)、この学校で「総合的な学習」の時間でどんな力をつけるか、どういうことを目標にしていくかということが必要になってくる大事な作業課題である。ねらいの自校化を図るということ。これが第1のステップ。
  (2)先進校の実践などに学び、総合的な学習の授業イメージをもつ段階
     2つ目のステップは、「総合的な学習」の授業に対するイメージは作られているか。教科指導のように一定の知識を身につけるということよりも、むしろ学び方とか生き方というところに傾斜がかかっているので、授業の展開の仕方も問題解決的に展開する、そして体験的な学習活動を組み入れる授業イメージである。
 「総合的な学習」の場合、とりわけ「子どもありき」ということが強調されているが、「はじめに子どもありき」ということは、子どもがやりたいこと、調べたいことは何でもありだということではなくて、本当にそのことを調べていくことによって力がつくのだという保障がなければ、やはり子どものためにならない。「はじめに子どもありき」というのは、子どもが今楽しく充実して学習すると同時に、将来一人前の人間になったときに困らないように、今しっかり力をつけていくことが子どものための教育であり、子どもを大事にした教育だと思う。
  (3)各学年で「はじめの一歩」を踏み出した段階
     自分の学校、自分の学年でも一つの実践をやってみようという最初の試行錯誤の実践が始まる、またそれを始めた段階が3つ目のステップ。
 そこでの課題を1〜2点述べる。新指導要領の時数に合うよう設定している学校もあるが、教科の年間授業時数をみると、必ずしも必要時数をクリアしていない、必要以上に教科を削って総合的な学習の時間を生み出しているという実態も実はあるように思う。教科を犠牲にしない範囲でこの総合的な学習の時間を生み出さなければいけないことは言うまでもない。そのために移行の期間があるわけで、新指導要領の中で期待されている新しい授業時数でいきなりやることではないが、そういうとらえ方も一部あるように思う。
 このはじめの一歩、一つの単元を設けての実践をみると、次のような授業のプラン例が多い。
 その本旨だけを簡単に紹介すると、1時間のねらいとして「第1時の課題と解決の方法、まとめの方法について情報の交換をしあい、課題や活動内容の確認をする」と掲げられている。これが「総合的な学習」の時間のねらいというわけである。そして、このねらいを実現するために、この例では大きく4つの学習活動を計画されている。
 「1、今日の学習の確認をする。2、同様な課題を持った友達と集まり、解決の方法、まとめの方法について情報を交換する」。「3、グループで話し合ったことの情報を交換する」。「4、情報交換を通して各自の課題や解決内容の確認をする」。こういう学習の流れが大きく4つあって、先程のように課題や活動内容の確認をするというねらいに近づけ、ねらいを実現させようという計画が課されている。
 このプランでは、授業を通して子どもたちにどんな力をつけたいのか。この力は自分の解決の方法を交流しあって確認をするので、課題をより一層明確に持たせたいという、その学び方にかかわる視点はこのプランに見いだすことができるが、この計画の中から子どもにどういう生き方を考えることができるようにしたいのか、その教師の願いやねらいが見えない。つまり、指導案を作るときに、子どもたちが如何に学ぶか、先生が如何に指導するかという方法だけをプランニングしても、目標は実現されない。子どもたちが何を対象に学ぶのか、何にかかわりながら学習していくのかといった学習の内容や対象が明確でなければ、目標は実現されない。これは教育という活動、授業の原則だと思うが、目標は方法と内容を一体化する中で実現される。その原則からしても、方法が計画されているだけでは内容が見えないし、目標も実現されない。これが第3のステップである。
  (4)学年の「年間単元計画」を作成する段階
     4番目は、2002年度から予定されている年間の授業時数に見合った単元をそれぞれの学年で作っていこう、メニュー作りを考えていこうと、「総合的な学習」の各学年の単元構成を作るとか、各学年の年間計画を作成するという段階になる。
 教科の場合にも年間指導計画を作ってきた経過、経験があり、「総合的な学習」の場合にもやはり、こういうものを作らなければ計画的、意図的、そして組織的に指導できないということが当然頭にあるので、年間指導計画を作成するということが当面の課題になっている。しかし、この「総合的な学習」の時間の年間の単元構成や、年間の指導計画を立ててみると、教科の場合には考えられなかった新たな課題に遭遇する。
 
2. 「年間単元(指導)計画」から「カリキュラム」開発へ
−なぜカリキュラムなのか−
  (1)「年間単元計画」に見る問題点
     ある学校の「総合的な学習」の年間計画を例にする。縦の軸に学年が示されていて、横の軸に1、2、3学期というタイムテーブルがある。このA小学校の問題点はいったいどこにあるのか、A小学校からいただいた年間計画に見る問題点を順に5つ述べたい。
 まず、その1つは、このA小学校の「年間単元計画」をみると、単元名だけが書かれていて、その単元におおよそどれぐらいの時間をかけるのかという時数が書かれていない。しかもその単元のねらいが示されていない。私は少なくとも年間計画の中では、その単元にあらかじめどれぐらいの時間をかけるかというのは必要な情報で、その単元の学習を通してどういうことをねらいとするのかということもなければ計画の要素としては不十分である。
 2点目。これは小学校の例であるが、4年生の1学期には「地域のごみ問題」という単元名がある。ごみという教材を「総合的な学習」でこの学校は扱うが、小学校では4年生の社会科の教科でもごみのことを扱う。つまり、教科でも扱う教材や活動が「総合的な学習」に位置づけられているときに、その教科との関連が明確になっているかということ。大事なキーポイントは、教材や題材活動といったものに仮に共通性や類似性があっても、それを通して身につけるねらいはそれぞれ違う。社会科であれば社会科の固有なねらいがあるし、「総合的な学習」はその学校が設定した環境についての理解認識を深めるというねらいがある。
 3つ目。例えば、3年生には「地域の様子を調べよう」、4年生には「地域の住みやすさチェック」、5年生には「地域のよいところを見つけよう」、6年生では「まちづくりについて考えよう」、こういう単元名がある。同じような学習のテーマが3年にも4年にも5年にも6年にもみられる。「地域」ということがキーワードになっている証だが、しかしそこには学習の深まりや発展が保障されているか、これがこのレベルのプランには見えない。
 4つ目は、同じ学年でも1組と2組で学習テーマが違うという事実があるが、これでいいのかということ。教科の場合には同じ学年であれば同じ内容を必ず学習するようになっているが、「総合的な学習」の場合には同じ学年でも学級によって取り上げる題材、テーマが違うことも出てくる。子どもたちや保護者の方から、1組と2組の学習テーマの違いについて質問が出たときなどにどう答えていくのか。それが子どもや保護者の不安感、不信感や不満感つながっていく。こういう場合には学校は何を用意しなければいけないか、ここに4つ目の課題がある。
 そして最後の5つ目の問題点。このプランから浮き出てくる問題点。同じ学年なのに年度によって単元があったりなかったりする。「総合的な学習」の場合にはそういうこともありうる。教科の場合は、5年生になれば先程のように社会科では稲作の勉強を毎年必ずやることになっているが、「総合的な学習」の場合には、同じ学年でも年度によって共通に扱う単元もあれば、そうではない新たなメニューが加わる場合もある。このことをどう考えていったらいいか。また保護者から、質問されたときにどう答えたらいいのか。
  (2)各学校において「カリキュラム」概念の導入
     そこで何が必要になってくるか。私は5つ問題点を指摘したい。教科の場合は、各学年で取り上げる、あるいは子どもが身につける目標や内容が指導要領にあるが、「総合的な学習」の場合には示されていない。示されていないということは、その部分を各学校が作らなければ今のような課題に答えられない。各学年で年間の単元構成や指導計画の作成は教科の場合も行う。しかし、総合の場合には、それを作成するよりどころを学校としてきちっと作っておくことが、今いろいろ出てきた問題点や課題に答えていくことになる。
 多くの学校は今メニュー作りに関心があり、それに取り組もうとしているが、メニュー作りで終わるのではなく、そのメニューを通して子どもにどういう栄養とカロリーを身につけていくかを明らかにしておくこと、それがスクール・スタンダードであり、スクール・カリキュラムではないかと思う。そうすれば、年度によって子どもが取り組むメニューが変わったり、同じ学年でも学級によってメニューが変わっても、あるいは同じ学級でも子どもによって取り組むテーマが違っても、それを通して身につける力は変わらない。
 そうすれば、子どもも保護者も安心できるし、指導する先生方も、メニューは違っても、何を身につけることが大事なのかという目安がそこで設定されるので、安心して指導ができ、そのことさえ踏まえておけば、安心してメニューを変えたり、指導方法を工夫することもできるわけである。この栄養とカロリーを明確にするというところが大きな課題ではないかと思う。
  (3)カリキュラムの具体的イメージ
     では、そのメニューから栄養とカロリーをどう抽出していくか、2つの視点で考えていきたい。
 その1つは、その学校がこれまで実践したことを通して作っていく、ボトムアップという視点。経験則を生かしながらこの栄養とカロリーを抽出していく。
 具体的には、これまで実践された「総合的な学習」の単元に目標がどう設定されているか。その目標に設定されている要素を1要素1カードに書き出して、それぞれの学年で、あるいは学校全体として子どもに身につけていく栄養素を抽出する。この栄養素は、その学校が設定する「総合的な学習」の目標の構成要素にもなる。多様性、バランス性という観点がこの栄養素には必要な条件だと思う。カリキュラムの世界では、これはスコープという片仮名で従来言われてきた概念である。
 それに対して、3〜6年、あるいは中学年〜高学年とか、中学校1〜3年というように、子どもが学習経験を踏むにつれて、より高度な力がついていくように段階性とかステップ性という要素を含めた意味合いで、カロリーという概念を私はよく使う。すなわち、易しすぎても子どもたちは充実感を味わえないので、子どもの発達に応じた適度な適切な力でなくてはいけない。そういう意味でカロリー、段階性、ステップ性という概念を使っているが、これがスコープに対してシーケンスという軸でよく言われる。
 こういったスコープとシーケンスという縦軸、横軸でそれぞれのメニューを通して子どもに身につける栄養とカロリーを整理し、それが学校としてきちっと作られていけば、仮に1組と2組が違っても、年度によって取り上げるメニューが変わっても、安心して実践ができるのではないか、また保護者に対する説明もできるのではないかと思う。
 このように、ボトムアップの視点で作っていくことが非常に大事だが、学校には学校の教育目標があり、その教育目標を具現化するという視点も当然必要になる。そして、その教育目標を具現化する過程においては、この「総合的な学習」の時間の趣旨とねらいは何かを踏まえること、そして保護者の方の意向や願いも把握し、反映させていく努力も必要ではないかと思う。このように、上下の2つの大きな視点でカリキュラムを作っていくことが、2002年度に向けて大事な各学校の課題になると思う。
  (4)スクール・カリキュラムの基本的性格
     学校が作るカリキュラムの基本的な性格は、各学校が作るものなので、絶対的なものではなくて、あまり変えていくことは望ましくはないが、実践を通して、修正することが可能なものだということである。
 2つ目には、そこに示されているのはあくまでも指導計画を立てるときのよりどころであり、必要最低限に精選・厳選された事項でいいのではないかということ。あまり細かくしすぎると指導計画に近くなり、また指導計画を立てるときの邪魔になる可能性もあるので、大綱化されたもの、弾力的に使えるものといった性格のものでいいと思う。
 3つ目は、子どもたちが学習経験を踏まえながら、ステップアップしながら、力をつけていけるように配慮されたものであるべきである。こういう資料は保護者の方に説明するときに必要なだけではなく、例えば4月の初めにほかの学校から転勤されてきた先生に、その学校の「総合的な学習」を理解してもらうときにも基本的な文献になる。
 さらに、小学校であればその資料は中学校に伝えていく、中学校であれば小学校に伝える、小・中一貫という視点で子どもたちが学んでいくためにも、小・中連携という視点でも非常に大事な情報になると思う。
 以上で、「年間単元計画」から「カリキュラム」開発へという意味で、私が考えているカリキュラムという概念について述べた。ここでいうカリキュラムは年間の計画、年間のメニューそのものを指すのではなく、年間の指導計画を作成するよりどころ、つまり基準を「カリキュラム」と言っている。いうなれば、指導要領にあたるものを各学校で作っていく必要があるのではないかという視点で、カリキュラム開発の必要性を述べた。
 
3. 総合的な学習の評価をどう考えるか
  (1)教育課程審議会答申(平成10年7月)が示した基本的な考え方
     「総合的な学習」を含めて、その「評価」自体をどう考えるかということが「総合的な学習」を実践、評価する場合にも必要になる。平成12年12月4日に教育課程審議会が答申を出したが、この答申は言い換えれば評価そのものに焦点を当てた答申である。これを読むと、これまでとは違った視点でこれからの子どもの学習状況の評価を考えていく際のポイントがいくつか示されている。
 1つ目は、目標に準拠した評価の重視ということ。従来のように集団の中での位置を示す評価、相対評価ということではなくて、いわゆる絶対的に評価する。つまり、その子が目標に照らしてその目標をきちっと身につけたかどうかを一人一人に則して評価する、
 2つ目は、子どもの学び方や成長の様子を全体的にとらえるという観点、あるいは生きる力は全人的な力だという立場から、指導要録の所見を記入する欄が一体化されたことが大きな転換である。
 3つ目は、保護者や子どもたちに対して評価情報を提供していくという視点。評価の結果、学習の結果、評価がどうだったかという学習の結果の評価情報の提供は従来から行ってきたが、それだけではなく、どういう観点で、どういう基準で評価するのか、あるいはどんな方法で子どもを見取っていくのか。こういった評価そのものに対する考え方とか評価の方法について、事前に保護者や子どもたちに説明することをこの答申は求めている。
  (2)新しい指導要録から見えてきた課題
     その中で「総合的な学習」の時間の評価の基本的なスタンスは、平成10年7月の教育課程審議会の答申に示されてる。
 それ以外に、平成12年12月の答申には、指導要録の中に「総合的な学習の記録」の欄がかなりのスペースを割いて示されている。その項目は縦軸に学年、横軸に学習活動、観点があり、評価がある。学習活動というところには子どもたちが取り組んだ学習活動を書けばいいので、そんなに困難性はない。評価という欄も子どもが1年間どういうテーマで頑張ったか、どういう成長の伸びが見られたか、どこに新たな課題があるかといった子どもの学習の事実を評価していく。
 問題なのは「観点」という欄である。「観点」とはいったい何を書けばいいのか。文部省として参考様式指導要録のプランの中に「観点」が示せなかった。
 それは、教科の場合、それぞれの教科の目標や内容が指導要領に示されているので、目標や内容構成を踏まえて「観点」が抽出されている。つまり、目標の構成要素と評価の観点とが一体になっているから、国の参考様式としての指導要録には「観点」が示せる。ところが、「総合的な学習」の場合には、ねらいはあるが目標や内容がないので、国のレベルで「観点」を示すことができない。
 逆にいえば、その部分は各学校が示すことになる。なぜならば、各学校が「総合的な学習」の目標を設定したり内容を構成したりするからである。すなわち、指導要領にあたるカリキュラムを各学校が独自に作るので、そのカリキュラムに設定されている目標の構成要素が、例えば意欲的に学ぶ力とか問題解決の力とか生き方を考えるといった栄養素が評価の観点になりうる。
 そういう意味からも、各学校が目標内容を明確にした指導要領にあたるカリキュラムをきちっと作らなければ、評価の観点も抽出されないし、その「観点」から子どもの学習状況も見取っていくことができない。各学校で目標内容を明確にした方法だけではなく、目標内容を明確にしたカリキュラムをきちっと作ることが、評価を行う上でも大事なことではないかということである。

■講演
テーマ: 総合的な学習としてのエネルギー・環境教育の進め方(要旨)
講 師: 京都教育大学助教授 山下 宏文 氏

1. 21世紀の教育課題としての環境教育と総合的学習
  (1) 「21世紀は環境の時代である」と言われるほど、環境の問題の解決が迫られている。
 「総合的な学習」の時間においても、この環境の問題が主要な課題となっている。しかし、この「環境教育」は、ここ数年で話題になってきたものでもなく、変遷は30年ぐらいのものを持っている。これから「総合的な学習」の時間の中で「環境教育」を進めていくにあたって、これまでの環境教育の歩み、変遷を見て、そこから今環境教育が取り組まなければならないことは何なのかを考えていく必要がある。
 日本の場合、1960年代に公害教育、公害学習が行われた。これが日本の環境教育の始まりである。その公害教育が、1970年代に入って企業告発型になってしまい、犯人捜しになってしまった。それと、公害自体が産業公害からだんだん都市型の生活公害に変わっていった。さらに、公害教育は、どうしても何か問題が起きて、その問題に直面したときの対症療法的なかたちになるという問題も表面化してきた。
 1970年代の初めは、世界的にも「環境教育」がクローズアップされた時期である。1972年に国連の「人間環境会議」があり、そこで「環境教育」が大々的に出てきた。日本でも、これからは環境教育だということで、「公害教育から環境教育へ」とか、「公害学習から環境教育へ」という転換がされた。
 1973年にオイルショックが起き、これを契機に省エネルギーとかエネルギーの問題がクローズアップされてくるのではなく、1970年代の「環境教育」はイコール「自然教育」、あるいは「自然体験教育」「自然保護教育」等の自然生態的な内容が中心となるような教育になっていく。
1980年代前半は、関心が下火になっていく時期で「環境教育」はほとんど定着しなかった。
 それがもう一度、教育界の中でクローズアップされてきたのが1980年代の後半でオゾン層の破壊、オゾンホールなどの地球環境、地球的規模の環境問題がクローズアップされ、それとの関係でもう一回、「環境教育」をきちんとしていかなければいけないとなった。1980年代の「環境教育」の取り組みが評価され、それが現在にまで続いてきている大きな理由とは、文部省が「環境教育」の指導資料をきちんと作成したことにある。
 では何も問題がないのかというと、この時期は学校教育の中に「環境教育」が入っていきたが、その実践内容の中心のほとんどは、1つは主に理科教育などでの、自然的なことを中心とした自然生態的な内容、もう1つがゴミ・廃棄物の問題である。
 そして、現在に至る1990年代から、重要な考え方が出てきた。1992年地球サミットで話題になった「持続可能な発展」ということである。持続可能な発展をめざす教育のあり方を「環境教育」としてきちんととらえていかなければならない、経済と環境の両立といってもいいかもしれない。この「持続可能な発展」ということになると、当然、エネルギーの問題抜きに考えることはできない。エネルギーの問題抜きに「持続可能な発展」や環境と経済の両立は成り立たない。
 最近、少しずつエネルギーの問題に対する先生方の関心や問題意識も高まってきたように思うが、この30年間、今までの日本の「環境教育」のあり方を見ていると、大きな問題として、エネルギーの問題についての扱いが非常に弱かった。なぜか。公害教育というのは企業告発型の教育であり、それに対してエネルギー教育というのは原子力推進のための教育というイメージがどこかにくっついていたのかなとも思う。
 先程いった文部省の「環境教育」の指導資料の中では、エネルギーのことはきちんと扱っている。にもかかわらず、あまり扱われてこなかったのは、やはり私たち教師の問題意識が大きくかかわってくるのではないか。
2. 環境教育としての資源・エネルギー学習
    欧米諸国のエネルギー教育
欧米の「環境教育」のあり方をみると、「環境教育」としてのエネルギー学習というのがきちんと確立されている。いくつか国を例に紹介する。
 まず、フランスでは、「環境教育」というと、中心はエネルギー教育、エネルギー学習であるといってもいいほどエネルギーのことを重視している。それは、フランスの電力供給は国営で、その80%近くが原子力発電によって賄われているということもあって、エネルギー教育に非常に力を入れている。
 フランスの10〜11歳用の科学の教科書のエネルギーに関する部分は、174ページのうち30ページはエネルギーという単元にあてている。すでに15年ぐらい前(1986年)からエネルギー教育を非常に重視してきた。フランスは、エネルギー教育で原子力推進や原子力理解のための教育を行っているのではない。「どういう発電形態がよいかを選ぶのは国民がすることであり、国民の判断である。我々は教育の中で、国民がそういった判断をしていく上で、これだけは必要だという基本的な知識を提供する。それを教育として徹底している」。つまり、あくまでも教育においては客観的な立場に立ち、そして判断は国民に委ねるという姿勢が徹底している。
 早くから原子力については逆を行っているスウェーデンは、1979年にアメリカのスリーマイルズアイランドで原子力発電所の大きな事故があり、その影響もあって、1980年代に原子力を選ぶか選ばないかという国民投票を実施し、脱原子力が選択された。そのときには、2010年までに原子力発電所を全部撤廃するということになった。「2010年までに」という記述は今はなくなったが、脱原子力、原子力発電所を止めていくという方針は変わっていない。そのスウェーデンでも国民投票を契機に、エネルギー教育に非常に力を入れている。スウェーデンは、フランス以上にエネルギーのことを詳しく扱っている。特徴的なことは、スウェーデンは脱原子力だから脱原子力政策を推進する、そういったことを国民に浸透させるような教育内容になっていない。あくまでも客観的な知識やいろいろな見方を提供して、事実に則した教育を進めている。フランスと同じ立場を貫いている。
 ドイツはつい最近、脱原子力を選択した国である。ここも「環境教育」のプログラムの中に必ずエネルギーの問題が入っている。
 アメリカの「環境教育」というと、あの広大な自然を背景として自然体験プログラムや野外体験プログラムなどというイメージが強く、日本でもそういう関係からの紹介が多い。インターネット等で見ると、いろいろなエネルギーに関するプログラムが開発されていて、「環境教育」の中でエネルギーの問題を扱っていることがわかる。
 こうした特に欧米のありかたや、日本の「環境教育」の変遷を見ていくと、「環境教育」としての資源・エネルギー学習を確立していくことの重要性、必要性が読み取れる。このことを第一に指摘しておきたい。
3. 総合的学習の観点からの「環境教育」
     「総合的学習」の時間について、「総合的学習」の理念として知の総合化ということが言われている。知の総合化として挙げられているのは、方法知と内容知と自分知を総合していくことである。方法知というのは学び方、そこでいろいろな技能を身につける。内容知というのは知識、理解、認識。自分知というのが資質、能力、生き方です。これを総合していくということは、学び方と認識と資質能力の3つを総合・統合していくということである。それともう1つ、社会の変化に主体的に対応できる資質や能力を育成していくことも言われている。
 この知の総合化と社会の変化に主体的に対応できる資質や能力の育成、この2つの理念というのは「環境教育」の理念でもある。「環境教育」の理念とぴったり重なっている。「環境教育」については3つの視点が大事である。
 3つの視点というのは、「環境について」、「環境の中で」、「環境のために」ということ。「環境について」というのは、環境に対する正しい知識や理解、正しい認識を培う。「環境の中で」というのは、実際の体験や活動を通して、感性を磨いていくという面や、そういう子ども自身の具体的な活動を重視する。「環境のために」というのは、環境に対する判断、行動や参加に結びついていくような資質能力を育てる。
 この3つの視点についての共通理解はあるが、この3つの視点の関係の共通理解はあるのだろうか。3つの視点というのは、「環境教育」が成立するためには3つとも必要である。3つの視点が統合されて初めて「環境教育」が成り立つ。ただ、その3つの視点のどこにウェイトを置くかということはある。まったく他の2つの視点がないということはありえない。
  (1) イギリスのエネルギー教育
     「環境教育」のイギリスでの変遷というのは、イギリスにおける「総合的学習」の変遷でもある。イギリスは1960年代に、ちょうど日本と同じような、子どもたちを教室に押し込めた知識伝達型の教育から、もっと子ども自身の主体的な学習をしなければならないという教育改革を行った。それにより、子ども自身を外に出して、子どもが自分で何かを調べたりする学習をした。そこで重視されたのが技能。内容はどちらかというと何でもよくて、子ども自身が調査する技能や、それをまとめる技能などが身につけばいい、そういう学習であった。
 それが1980年代の後半からは、クロスカリキュラムということで教育課程全体が変わり、その中で、技能はもちろん、内容がなければならないということになった。どういう内容かというと、現代的な問題、現代的な社会的問題といったものを扱うということで、環境や職業教育、産業、市民性、日本で「総合的学習」の課題で言われている部分と重なるが、社会の課題をきちんと、しかも体系的に、発展的に扱っていかなくてはならないとされた。クロスカリキュラムということで「総合的な学習」を行うのだが、それが「環境教育」と重なっているというのは、単なる技能中心から、技能も認識、資質、能力もという「総合的学習」に移ってきているということである。こういう点を、「総合的学習」をこれから進めていく日本でも、きちんと学ばなくてはいけない。
 ここで言いたいことは、「総合的学習」の理念と「環境教育」の理念はまさに重なっているということである。だから、「総合的学習」としての「環境教育」、そして「総合的学習」としての資源・エネルギー学習ということを進めていく必要があると思う。
4. まとめ
    これから、「総合的学習」としての資源・エネルギー学習のカリキュラムを開発していくにあたって、どういうことに気をつけていけばいいのか。今回は、欧米のエネルギー学習から学ぶことということでまとめてみたが、これがそのまま「総合的学習」の中で、資源・エネルギー学習を進めていく上で重要。
@エネルギー教育を「環境教育」の重要な構成要素と位置づけ、環境問題とエネルギー問題を密接に関連させながら学習を行うこと。
Aエネルギー教育に関する体系的なカリキュラムを開発し、各学校段階を通じて継続的・発展的に学習を行うこと。
B客観的な立場に立つとともに、多様な観点から考えられるように学習するということ。
C子ども自身の体験や活動を重視するとともに、それぞれが価値判断のできる学習を行うこと。
D関連機関との連携を密接にすること。
 外国では、資源・エネルギー学習を進めていくときに、電力会社や石油、ガスなど関連機関との連携をきわめて密接に行っている。カリキュラムを作ることも含め、一緒に連携をしているところもある。その場合、例えば企業と連携するときには、企業の宣伝のための、企業の方針を徹底するための教育であってはならないということは言うまでもない。企業や連携機関も教育的見地に立つということに徹しなければならない。そういう立場で密接に連携をし、カリキュラムを作成していく。
 では、日本でこういうことができるのかどうか。私は福井県の場合はできると思う。福井県にはいろいろな発電所もあり、真剣にそういうことを考えていけば、電力やエネルギー関係の企業にも協力してもらえるのではないかという気がする。これは別に福井県に限ったことではないが、教育的見地から関連機関と連携をしていくということも、資源・エネルギー学習を進めていくうえで大事になるということを強調しておきたい。
 本日申し上げたかったことは、「環境教育」として資源・エネルギー学習をきちんとこれからはやっていかなければならない、そして「総合的学習」として資源・エネルギー学習を進めていく必要があるということである。
 
■実践校発表
テーマ: 「考えよう未来に残す狐川」
講 師:  福井県福井市社西小学校 教諭 野坂 晴美 氏
                久保 幸信 氏

テーマ: 「総合的な学習につなぐエネルギー・環境教育の実践」
講 師:  大阪教育大学教育学部附属平野中学校 教諭 浅田 儀博 氏

 

 

Copyright(c) The Society for Environment & Energy in Fukui Prefecture All Rights Reserved.